理事長挨拶
当法人は、高齢者や障害者が住みなれた地域で自分らしい生活を、いつまでも継続できるのを支援するために開設された医療・介護・保健サービスの複合事業体です。要援護者に医療・生活上の悩みが生じた時の「駆け込み寺」を目指しています。スタッフは要援護者の人としての尊厳を厳守するために、サービスの質の向上に努めており、スタッフの家族が利用したくなるようなサービス提供を心がけています。サービスに対する、不平・苦情は法人スタッフの質を向上させるアドバイスであるので、どんどんお寄せくださいませ。
医療法人社団長寿会・社会福祉法人共助会
理事長 畑野栄治
畑野栄治 経歴
昭和48年 | 広島大学医学部医学科卒業 |
昭和52年~昭和53年 | ニューヨーク大学リハビリテーション科留学 |
昭和60年~平成4年 | 広島大学医学部講師 |
昭和62年~平成25年 | 日本リハビリテーション医学会評議員 |
平成4年9月 | はたのリハビリ整形外科開業 |
平成9年~平成28年 | 日本リハビリテーション病院・施設協会理事 |
平成10年4月~ | 広島市安芸区地域保健対策協議会理事・地域リハビリテーション専門委員会委員長 |
平成11年~ | 広島県訪問看護ステーション協議会 副会長 |
広島県老人保健施設協議会 理事 | |
平成12年~ | 広島県臨床整形外科医会 常任幹事 |
平成18年~ | 広島県訪問看護ステーション協議会 理事 |
全国老人保健施設協会中四国ブロック 幹事 | |
平成18年4月~平成25年3月 | 広島大学医学部臨床教授 |
平成19年~ | 広島県地域包括・在宅介護支援センター協議会 理事 |
11月25日 開催地 広島市 | |
第25回中国四国リハビリテーション医学研究会 大会長 | |
第2回日本リハビリテーション医学会中国四国地方会 大会長 | |
平成21年10月23・24日 | 第13回リハビリテーション・ケア合同研究大会・広島2009大会長 |
平成23年~ | 全国老人保健施設協会 代議員 |
平成24年~ | 広島市老人保健施設協議会 会長 |
広島県老人保健施設協議会 副会長 | |
広島県地域包括・在宅介護支援センター 副会長 | |
平成24年4月~ | 広島県社会福祉審議会委員 広島県介護保険審査会委員 |
平成24年8月~ | 広島県地域包括ケア推進センター多職種連携推進ワーキングチーム会議委員 |
平成26年~ | 広島県地域包括ケアネットワーク会議 副会長 |
広島県地域包括推進センター企画運営小委員会委員 | |
平成27年1月~ | 魅力ある看護の人材確保総合推進事業検討委員会委員 |
平成27年4月~ | 広島県地域保健対策協議会 在宅医療・介護連携推進専門委員会委員 |
平成27年12月~ | 広島市介護保険事業運営懇談会委員 |
平成28年6月~ | 広島県高齢者対策総合推進会議委員 |
平成28年9月~ | 広島県認知症地域支援体制推進会議委員 |
平成28年12月~ | 日本リハビリテーション医学会中国・四国地方会名誉会員 |
平成29年4月~ | 広島県エイズ対策推進会議委員 |
平成30年4月~ | 広島県老人保健施設協議会 会長 |
平成30年5月~ | 広島県地域包括ケア強化推進検討委員会委員 |
令和2年4月~ | 広島県新型コロナウィルス感染症に関する福祉サービス調整本部委員 |
令和3年4月~ | 広島県結核予防推進会議委員 |
令和4年4月~ | 社会福祉法人恩賜財団済生会支部 広島県済生会理事 |
令和4年9月~ | 全国老人保健施設協会 名誉・倫理諮問会議委員 |
令和6年4月~ | 広島県老人保健施設協議会 顧問 |
資格
①昭和50年 | ECFMGアメリカでの臨床医資格取得 |
②昭和60年10月 | 韓国圓光医科大学 副教授 |
③平成24年10月9日 | 広島県がん診療に携わる医師に対する緩和ケア研修会終了 |
④平成25年9月11日 | 広島県がん対策サポートドクター養成研修終了 |
⑤平成26年12月14日 | 認知症サポート医 |
⑥平成27年1月 | 北京師範大学客員教授 |
⑦令和2年11月20日 | 広島県アルコール健康障害サポート医(専門)認定 |
表彰
平成21年 | 全国老人保健施設協会表彰 |
平成23年 | 広島県老人保健施設協議会会長表彰 |
平成24年10月26日 | 社会保険診療報酬支払基金関係功績者厚生労働大臣表彰 |
平成26年3月20日 | 公衆衛生事業功労者厚生労働大臣表彰 |
平成29年7月27日 | 老人保健施設事業功労者厚生労働大臣表彰 |
著書【共同執筆】 (はたのリハビリ開設後)
論文名 | 著書名 | 出版社 | 発表年 |
住まいの博士レポート 介護不要の自立住宅を目指した建築 | わかりやすい高齢者住宅の本 | (株)ガリバープロダクツ | 1995 |
ヨーロッパの高齢者医療・保健・福祉システム | 世直し福祉計画 | 渓水社 | 1996 |
在宅ケアにおける住宅の位置づけ | 理論と実践 リハビリテーション介護 | 1997 | |
介護保険のキーパーソン ケアマネジャー・マニュアル 試験対策・指定事業者必携 | 日経BP社 | 1998 | |
在宅リハビリテーションの実際 | さあ、取り組もう在宅医療リハビリテーション 実践ポイント110 | 医歯薬出版(株) | 1998 |
広島県 はたのリハビリ整形外科 | 地域リハビリテーション白書2 | 三輪書店 | 1998 |
住宅でのリハビリテーション | 介護保険とリハビリテーション | 全日本病院出版会 | 1999 |
手の外傷後のリハビリテーション | リハビリテーション処方必携 | 医歯薬出版(株) | 1999 |
住宅改修・福祉機器 | 介護保険とリハビリテーション | 全日本病院出版会 | 1999 |
脳血管障害住宅での長期管理 | 日常臨床のための脳血管障害シリーズⅣ 脳血管障害の長期管理 | 現在医療社 | 2000 |
リハビリテーションwook、介護保険とリハビリテーション | 金原出版 | 2001 | |
診療所を中心とした地域リハビリテーション活動 | 地域リハビリテーション | 医学書院 | 2001 |
寝たきりの予防・改善 | 入院医療から在宅医療へ 在宅医療ハンドブック | 中外医学社 | 2001 |
どっこい!!有床診療は生きている | リハビリテーションの新展開 21世紀への60の提言 | 三輪書店 | 2001 |
編集企画にあたって | Monthly Book Medical Rehabilitation 介護保険と地域リハビリテーション | 全日本病院出版会 | 2003 |
歩行障害のケアマネジメントとは | 在宅医療実践マニュアル 第2版 | 医歯薬出版(株) | 2006 |
訪問リハビリテーションの医療報酬、介護報酬とは | 在宅医療実践マニュアル 第2版 | 医歯薬出版(株) | 2006 |
福祉機器・住環境 | 在宅医療実践マニュアル 第2版 | 医歯薬出版(株) | 2006 |
住宅改造 | 在宅医療実践マニュアル 第2版 | 医歯薬出版(株) | 2006 |
地域リハビリテーション展開 | 在宅医療実践マニュアル 第2版 | 医歯薬出版(株) | 2006 |
転ばない、けがをしない転倒予防に対する地域での取り組み | MonthlyBookMedicalRehabilitation 転倒予防実践マニュアル | 全日本病院出版会 | 2006 |
福祉機器 | 在宅医療実践マニュアル 第2版 | 医歯薬出版(株) | 2006 |
運動器リハビリテーションのプロセス | 運動器リハビリテーションシラバスセラピストのための実践マニュアル | 南江堂 | 2007 |
維持期の立場から | 脳卒中リハビリテーション連携パス基本と実践のポイント | 医学書院 | 2007 |
寝たきりの予防・改善 | 在宅医療ガイドハンドブック | 中外医学社 | 2008 |
保健医療サービス関係者との連携と実際 第1節 医師看護師保健師との連携 | 社会福祉学習双書2009 | 全国社会福祉協議会 | 2009 |
下肢装具 | 今日の整形外科治療指針 第6版 | 医学書院 | 2010 |
医師、看護師、保健師等との連携 | 社会福祉学習双書(2011) | 全国社会福祉協議会 | 2011 |
脳卒中の地域リハビリテーションにおけるかかりつけ医の役割 | 症例から学ぶ実践脳卒中リハビリテーション | 全日本病院出版会 | 2011 |
高齢者の運動療法(立ち上がり訓練効果) | ロコモティブシンドローム | メディカルレビュー社 | 2012 |
医師、看護師、保健師等との連携 | 社会福祉学習双書(2012) | 全国社会福祉協議会 | 2012 |
医師、看護師、保健師等との連携 | 社会福祉学習双書(2014) | 全国社会福祉協議会 | 2014 |
運動器リハビリテーションのプロセス | 運動器リハビリテーションシラバスセラピストのための実践マニュアル | 南江堂 | 2014 |
地域にリハビリテーションを根づかせたい | こんなときどうする?リハビリテーション臨床現場のモヤモヤ解決! | 医歯薬出版株式会社 | 2014 |
医師、看護師、保健師等との連携 | 社会福祉学習双書(2016) | 全国社会福祉協議会 | 2016 |
医師、看護師、保健師等との連携 | 社会福祉学習双書(2017) | 全国社会福祉協議会 | 2017 |
法人開設の経緯と法人の理念
(1)なぜ、開業したのか?
広島大学病院で主治医となった22歳の青年との出会いが発端です。彼は昭和62年に高速道路中国縦貫道での大きな交通事故で大学病院に入院しました。右下肢を股関節部で切断し、そして胸椎部での脊髄損傷でオヘソあたりから残っている左下肢の足先までが完全麻痺でした。彼はリハビリを積極的に行って排泄・入浴などの日常生活活動が自立するまでに回復し、車いすを自由自在に駆動して大学病院内・外を動き回ることができるようになりました。そこで、退院が決まり看護師やリハビリスタッフなどが正面玄関でお祝いをして住み慣れた自宅に送りだしました。それから約1年後に彼が自宅に閉じこもりそして生き甲斐を失っているということを病棟婦長から耳にしたので、心配になり休日に彼の自宅を訪問しました。すると自宅は公道から石段を約15段位あがった所にあり、そこから玄関前までは石畳、玄関ドア部の段差、玄関口から床への上がりかまちの段差、廊下は車いすが通過できない幅でした。この住環境を見た瞬間に彼が入院時のように車いすで自由に移動できなくなって自室に閉じこもりそして意欲や生き甲斐を失っている原因が直ちに理解できました。当時は、今のように退院前に在宅生活での受け皿づくりをするということは全く念頭にありませんでした。目から鱗と申しましょうか、この時ほど身体障害を持った方の住環境整備の重要性を認識したことはありません。久しぶりに戻った我が家は身体障害を持った青年にとって事故前のような優しい住宅ではなくなっていたのです。自宅内外にある段差などの多くの障害物が、歯を食いしばって頑張った入院リハビリの成果を発揮できないようにしていたのです。これを契機として私は障害者・高齢者が住み慣れた我が家に安心して住み続けるためには、住環境整備が必要であることを痛感し、今後自分が医師として目指す方向性が明瞭になってきました。
私は高校1年生の時に敗血症の治療目的で県立広島病院に3カ月間入院しました。当時は建築に興味があり、将来の仕事は建築関係と決めていました。通学していた高校からの下校時に建築中の高層建築現場をよく眺めたりしたものです。入院期間中に多くの患者さんが回復して元気になって笑顔で退院される様子を毎日のように見てきました。いつの間にか将来の仕事は医師を目指すことに変わってきました。
この22歳の青年宅を訪問した際に、高校時代まで憧れていた建築への興味が突然によみがえってきて、まるで初恋の人に久しぶりに出会ったかのように心が躍りました。彼の自宅を訪問してからは自分に覆いかぶさっていた霧が完全に取り払われたように進む方向性が明瞭になり、そして体の中心からどこからともなくエネルギーが湧き出たことを記憶しています。そこで、障害があっても高齢になっても安心かつ安全に在宅生活を継続可能にするためにはバリアフリー設計住宅の啓蒙・普及が必要であることを痛感しました。障害を負ってからの生活再建ですから、医療関係者だけでなく住環境整備の関係者、福祉そして地域住民の協力や行政など幅広い分野からの支援が必要となります。当時、積水ハウスKKが身体障害を配慮した「障害配慮住宅」は生涯に渡って住み続けることが可能になる「生涯住宅」になるということでバリアフリー住宅を宣伝していました。そこで、積水ハウスでバリアフリー住宅普及の責任者である平田義規様と一緒に「在宅ケアを考える会」の勉強会発足準備を手分けして開始しました。私はまず県庁環境保健部公衆衛生課長の牛尾光宏氏(厚生省から出向中)そして広島市役所の高齢者福祉課長の神田裕二氏(現在は厚生労働省医政局長)を訪問して会設立の趣旨を説明すると快く就任をお引き受けくださいました。平成元年の当時は厚生省が寝たきり防止のためのゴールドプラン政策を発表した時でした。平田氏は、安全でクリーンなオール電化をうたい文句にしていた中電KK、福祉車両を期待してマツダKK、障害者のコミュニケーションを可能にするためにNTT(株)、トイレなど水回り専門企業のTOTO(株)などの東証一部上場企業広島出張所などを訪問して会員としての了解をとってくれました。県内でご活躍のリハビリスタッフ、保健師等にも加入していただき約35名位の会員を集めることが出来ました。体制が整った後で尾道市の北にある広島県御調郡みつぎ総合病院院長の山口昇先生を訪問して、この会の顧問に就任して頂くように依頼したのがつい先日のように想いだされます。当時、山口先生を中心としたみつぎ町は地域包括医療体制(医療・福祉・保健などが連携して住み慣れた地域に安心して住み続けるようにする活動)をきづいて寝たきりゼロ作戦を実践して成果をあげており、みつぎ方式として全国のモデルになっていました。山口先生は私とは初対面ですが、当時まだ40歳の若い私の依頼を気持ちよくお引き受けいただけました。今から思えば、それぞれの分野でご活躍の大先輩に入会をお願いして勉強会を立ち上げたことは、世の中の怖さを知らない若者の強みと言えば恰好がよいのですが、むしろ私の鈍感力が幸いしたということだと思います。そうして平成元年4月に「広島県在宅ケアを考える会」の第一回目の勉強会(会長は私の上司であった広島大学整形外科教授生田義和先生にお願いしました)を発足させて事務局を大学病院に置きました。その後は安全な住まい、福祉機器、介護人材、医療・保健・福祉分野など在宅生活継続を支援するために必要な社会資源をテーマとした勉強会を行いました。県民向けには寝たきりにならない介護予防をテーマにした講演会やシンポジウムなどを開催しました。また勉強会での成果の内容をまとめた本も出版しました。大学病院を会場にしたこの勉強会を重ねるうちに、私は机上の空論では満足できなくなり、「高齢・障害者がいつまでも安心・安全に住み慣れた所に住み続けるための実践活動」を一日でも早く実践したい希望に駆られて、平成4年7月31日に広島大学病院を退職して20年間の勤務医生活を終えました。
(2)医療法人の名称を長寿会とした理由
平成4年9月1日に19床の診療所としてスタートしました。命を救うための医療は大切です(長命)。しかし、救命して長生きできても寝たきりの生活では生きてはいるものの意義ある人生だとは言いにくいのではないでしょうか。たとえ介護を要するようになったとしても、家族を含めた地域住民等の支え(互助)やさまざまな社会資源を利用すると普通の生活を取り戻せるはずです。歩行できなくてもヘルパーさんに車いすを押してもらうと満開の桜の下でお弁当を食べるなど普通の生活を継続できます。救命して長命にすることとだけでなく、人の尊厳を遵守してその人らしい生活実現を可能にしてあげる(長寿)ことも医師としての務めであるという信念を強く持つようになりました。長命の役割は急性期の病気を扱う病院に任せるかわりに、当法人の役割は長寿になっていただくことにしました。若い時に苦労の多い人生であっても、高齢・障害者になってから介護を必要とするようになった時に自分らしい生活を継続できたとしたら、自分の人生は素晴らしい人生であったと肯定するのではないでしょうか。しかし、若い時に誰もがうらやむような喝采や脚光を浴び続けるような時を過ごした人でも、介護を要するようになってから自分が希望する生活を実現できなければ、何のために長年にわたって頑張ってきたのかと愚痴ばかり出て、自分の人生を否定することになると思います。「終わりがよければ全て良い」を信じています。当法人のスタッフは、この理念を毎日の活動の原動力にして欲しいと思います。
(3)開業後の状況
平成4年に開業すると直ちにバリアフリー設計モデル住宅を建設しての見学会や住宅改修を行ったので、仲間であるはずの医師会員から変わった医師のようにみられていたようです。当院デイケア室に建築した最初のバリアフリー設計モデル住宅は、遠方から大型バスで見学にこられるなど住環境整備の重要性の普及のためには効果抜群でした。そして、平成9年に開設した老人保健施設(老健と略)の建物の中にも総床面積約85㎡の2LDKバリアフリー設計住宅を展示用につくったところ、広島市から在宅介護支援センター(在介と略。平成18年から地域包括支援センターの指定を受ける)の委託を受けたので在介の事務所としても使用しました。当時の在介には福祉機器展示コーナー設置が義務付けられていました。しかし他の在介ではただ福祉機器を棚に配置して展示しているだけで、生活場面でどのように使用するかがわかりませんでした。当老健では2LDKバリアフリー設計住宅のそれぞれの部屋(和室、キッチン、食堂兼居間、寝室、浴室、トイレなど)に適材適所に福祉機器を配置しました。例えば天井走行リフトはベッドからトイレや浴室に、ポータブルトイレはベッドサイドに、自助具はキッチンなどに配置したので、利用者は生活の現場で福祉機器使用の実体験ができました。当院診療部門(外来と病棟などすべて)もバリアフリー設計にしていたので、高齢者や身体障害をお持ちの外来患者さんにも優しい建物になっていました。そこで前述した脊髄損傷の青年を当院の事務員として雇用しました。彼は車いすを乗せた自家用自動車で通勤し、自身が身体障害者ゆえに患者さんにとても親切に接していました。当院入社までは意欲や生き甲斐を失っていましたが、入社してからはいつの間にか給与日には彼女とデートを楽しんだりするなど普通の青年に戻りました。しかし、残念ながら再び交通事故を起こして若い命を落とすこととなり死亡退職となりました。
障害があっても出来るだけ自立できるようにするための住宅改修は開院してから直ちに始めました。当院看護職の夫で日曜大工がプロの大工さん級の方に、会社勤務のない休祭日を利用して手すり設置、段差解消などの改修をしてもらいました。手すり取り付けにはリハビリ知識を要します。病気の種類や体の障害に応じて適切な手すりの型や太さそして位置などが決まります。住宅改修の際にはリハビリスタッフが自宅を訪問して福祉機器を含めた住環境整備などのアドバイスを行いました。要援護者に適合していない手すりはただの棒になるだけでなく、時には邪魔な棒になります。たかが手すり、されど手すりです。
開業した平成4年は在宅医療元年とも言われています。診療所での小規模デイケア、訪問看護ステーション制度そして在宅での医療行為などが創設された年だからです。医療を行う現場は入院医療と外来医療だけでなく在宅医療が加わりました。開設後から開始した老人デイケアでは患者さんの送り迎えをするので中傷する医師会員もおられたようです。当時は制度として創設されたばかりの老人デイケアゆえに全国的にも珍しかったので致し方ないと思います。平成元年から新たな施設として開設が始まった老健では、デイケアを実施することが設置基準となっていましたが、当時はまだ老健施設が多くありませんでした。そこで、在宅生活継続のために重要な役割を果たす老人デイケアの啓発・普及のために当院デイケア室を会場にしたデイケア研修会を企画して雑誌に掲載しました。広島県みつぎ総合病院病院長の山口昇先生や日本作業療法士協会のリーダーであった広島大学保健学科教授鎌倉矩子先生などの著名人が講師であったので、受講者100名の定員に対して200名以上の申し込みが県内外からありました。通院困難な要援護者への訪問看護や訪問リハビリも開設直後から行いました。開設当初は訪問リハビリを実施している医療機関がまだ少なく、地元テレビ番組で訪問リハビリが可能な医療機関としてリストを紹介されるような状態でした。介護保険制度スタート後の平成12年からは多くの医師仲間もこれらの在宅サービスを積極的に展開する状況となってきました。一方、「広島県在宅ケアを考える会」は介護保険制度開始とほぼ時を同じくして会の目標を失ったために活動中止となりました。逆にいえばこの会が求めていたことがある程度介護保険制度で実現したことになります。
開業後2年目に日本リハビリテーション病院協会(現在は日本リハビリテーション病院・施設協会)の理事就任を要請されて、以来現在までこの役職を務めています。当時の協会長は義肢・装具と地域リハビリで著名な兵庫県立リハビリテーションセンターの澤村誠志先生です。ベトナムのベトちゃんドクチャン(下半身がつながった結合双生児)を手術された先生と言えばお分かりと思います。回復期リハビリ病棟はこの協会が厚労省に政策提言して介護保険制度がスタートした平成12年から始まりました。澤村先生は毎年、デンマークやスエーデンなどの福祉大国視察旅行を企画して、ノーマライゼーションの理念を持つスタッフの育成を全国レベルで行っておられたので私も数回ほど同行させていただきました。この視察によって福祉先進国での高齢者医療と介護の在り方を学びました。開業して目指している自分の目標がほぼ間違っていないことを確信したので、新たな事業展開に際しても自信をもって金融機関から融資を受けることが出来ました。長年に渡って地域リハビリを実践しておられる当時の協会会長である浜村明徳先生からこの協会の学術集会である日本リハビリテーション・ケア合同研究大会を広島市で開催するように依頼されました。それまでは大病院を運営している大きな医療法人がすべて大会長でしたので、診療所がベースの当院が開催できる能力があるのかどうかとても不安でした。しかし、約2年間に渡っての準備の中でそれまで私が把握していなかったスタッフの隠された素晴らしい能力をたくさん発見しました。同じスタッフであっても新たに有能な人材を確保したように心強く思いました。これらのスタッフは以後の法人の運営にかかせない人材になっています。それぞれのスタッフの埋もれていた能力を発見することが出来たのはこの大会開催を通じての大きな収穫でした。2009年10月に開催した広島大会での有料参加者は2.052名そして一般演題は608題ありそれまでの最高となりました。
障害があっても出来るだけ自立できるようにするための住宅改修は開院してから直ちに始めました。当院看護職の夫で日曜大工がプロの大工さん級の方に、会社勤務のない休祭日を利用して手すり設置、段差解消などの改修をしてもらいました。手すり取り付けにはリハビリ知識を要します。病気の種類や体の障害に応じて適切な手すりの型や太さそして位置などが決まります。住宅改修の際にはリハビリスタッフが自宅を訪問して福祉機器を含めた住環境整備などのアドバイスを行いました。要援護者に適合していない手すりはただの棒になるだけでなく、時には邪魔な棒になります。たかが手すり、されど手すりです。
開業した平成4年は在宅医療元年とも言われています。診療所での小規模デイケア、訪問看護ステーション制度そして在宅での医療行為などが創設された年だからです。医療を行う現場は入院医療と外来医療だけでなく在宅医療が加わりました。開設後から開始した老人デイケアでは患者さんの送り迎えをするので中傷する医師会員もおられたようです。当時は制度として創設されたばかりの老人デイケアゆえに全国的にも珍しかったので致し方ないと思います。平成元年から新たな施設として開設が始まった老健では、デイケアを実施することが設置基準となっていましたが、当時はまだ老健施設が多くありませんでした。そこで、在宅生活継続のために重要な役割を果たす老人デイケアの啓発・普及のために当院デイケア室を会場にしたデイケア研修会を企画して雑誌に掲載しました。広島県みつぎ総合病院病院長の山口昇先生や日本作業療法士協会のリーダーであった広島大学保健学科教授鎌倉矩子先生などの著名人が講師であったので、受講者100名の定員に対して200名以上の申し込みが県内外からありました。通院困難な要援護者への訪問看護や訪問リハビリも開設直後から行いました。開設当初は訪問リハビリを実施している医療機関がまだ少なく、地元テレビ番組で訪問リハビリが可能な医療機関としてリストを紹介されるような状態でした。介護保険制度スタート後の平成12年からは多くの医師仲間もこれらの在宅サービスを積極的に展開する状況となってきました。一方、「広島県在宅ケアを考える会」は介護保険制度開始とほぼ時を同じくして会の目標を失ったために活動中止となりました。逆にいえばこの会が求めていたことがある程度介護保険制度で実現したことになります。
開業後2年目に日本リハビリテーション病院協会(現在は日本リハビリテーション病院・施設協会)の理事就任を要請されて、以来現在までこの役職を務めています。当時の協会長は義肢・装具と地域リハビリで著名な兵庫県立リハビリテーションセンターの澤村誠志先生です。ベトナムのベトちゃんドクチャン(下半身がつながった結合双生児)を手術された先生と言えばお分かりと思います。回復期リハビリ病棟はこの協会が厚労省に政策提言して介護保険制度がスタートした平成12年から始まりました。澤村先生は毎年、デンマークやスエーデンなどの福祉大国視察旅行を企画して、ノーマライゼーションの理念を持つスタッフの育成を全国レベルで行っておられたので私も数回ほど同行させていただきました。この視察によって福祉先進国での高齢者医療と介護の在り方を学びました。開業して目指している自分の目標がほぼ間違っていないことを確信したので、新たな事業展開に際しても自信をもって金融機関から融資を受けることが出来ました。長年に渡って地域リハビリを実践しておられる当時の協会会長である浜村明徳先生からこの協会の学術集会である日本リハビリテーション・ケア合同研究大会を広島市で開催するように依頼されました。それまでは大病院を運営している大きな医療法人がすべて大会長でしたので、診療所がベースの当院が開催できる能力があるのかどうかとても不安でした。しかし、約2年間に渡っての準備の中でそれまで私が把握していなかったスタッフの隠された素晴らしい能力をたくさん発見しました。同じスタッフであっても新たに有能な人材を確保したように心強く思いました。これらのスタッフは以後の法人の運営にかかせない人材になっています。それぞれのスタッフの埋もれていた能力を発見することが出来たのはこの大会開催を通じての大きな収穫でした。2009年10月に開催した広島大会での有料参加者は2.052名そして一般演題は608題ありそれまでの最高となりました。
私は日本リハビリ病院・施設協会理事会や日本リハビリ医学会委員会などで頻回に東京出張しました。午前の外来診察を終了すると昼食を取る時間もなく直ちに広島空港に行って午後2時30分前後に離陸のANAで東京へ出むいて会議に参加し、そして午後8時前の東京駅発最終便新幹線で深夜に自宅に戻るようなタイトなことを行っていました。会場がたまたま東京駅近くの時にはこのように有効に時間を使うことが可能で半日で広島・東京往復したものです。出張のために私が不在の時には広島大学整形外科教室教授越智光夫先生が代わりの医師を今日まで長年に渡って派遣して下さっています。このご支援のおかげで志を同じくする仲間と会って相談することが出来また、新しい情報を得ることもできました。
これから急増する団塊世代の高齢者施策として国は2025年を目標に地域包括ケアシステムづくりをめざしています。今後は地域包括ケアをキーワードとして医療・介護報酬改定が行われることとなります。住環境整備に特に興味のある私は、地域包括ケアシステムの重点目標の中に高齢者向け住宅の整備が入っているのを幸いに、平成26年4月にサービス付き高齢者向け住宅45室に広島市内で初めての複合型サービスを併設して開設しました。当法人は今後も、「高齢になっても障害があっても安心・安全に普通の生活を継続できる」地域包括ケアシステムづくりを目指した活動を行って、その上で地域住民から「この町で生活してきてよかった」と言っていただけるようにしたいと思います。
(4)鈍感力が幸いした
はたのリハビリ整形外科、老健、グループホーム、ショートステイ、時計台リハビリセンターそしてサービス付き高齢者向け住宅などの建築費の総合計は約30億円です。これらのすべての建物は金融機関からの融資によって竣工可能となりました。金融機関から多額の借り入れをしている時に心配をしてくれた医師仲間がいましたが、スタッフそして利用者さん等のおかげで金利を含めた借入金は遅滞なく返済しています。借入金、人事管理そして事業運営についてもこれまでに山あり谷ありの経過を辿っています。渡辺淳一氏の著書「鈍感力」がベストセラーになりましたが、どんなに深い谷に落ち込んだ時でも、私が鈍感であることが様々な面で幸いしました。何事にもおおまかで細かなことにまで気がつかないために、スタッフを含めて多くの方々にご迷惑をかけ続けてきました。鈍感な私をみかねて支援せずにはおれないので、多くの優秀なスタッフが育ちました。私はスタッフの皆さんが精いっぱい頑張っていることを承知しているので、「頑張ってくださいね」とは言えませんでした。「余り無理をしなくてもいいよ」と言っています。開業前は借金の返済と同じくらいに人事管理のことが心配でした。しかし、私が鈍感なアバウトな人間であるために職場での人間関係の不調に気がつかないことが多多ありました。気がつかないので何もしない私に対しての支援と言いましょうか、人と人との関係をスムーズに調整する能力を有した看護師スタッフなどに随分と助けられました。スタッフの中には大学や専門学校の講師あるいは公務員試験に合格して県庁の職員として就職した者もいます。人さまは困った状況を見捨てはしないものであると痛感しています。人は何かに役立つ自分を知って意欲や生き甲斐が生じるのですね。
(5)まだ、やり残していることは?
「高齢になっても障害があっても住み慣れた地域に安心・安全に住み続けることができるような地域づくり」を、当法人が立地しているこの地域だけでも実現できることを願っています。住民にこの街で生活してきてよかったと言ってもらえるようになりたいものです。そのためには地域住民同士のお互いの助け合い(絆)も必要不可欠です。独居高齢者の見守りやゴミ捨てなどは隣人が支援してあげてはいかがでしょうか。誰でも大きなお節介は厭でしょうが、小さなお世話を受けることはありがたいものであり、小さなお世話なら誰でもすぐにできることではないでしょうか(互助)。今の私は毎日の業務を遂行することが精一杯で、このために町内会の一員として余りお役に立っていないことに引け目を感じています。帰宅時間は午後10時からの報道ステーション番組を目指していますが、午後11時からのNEWS23に間にあって帰宅できるかどうかも怪しい状況です。体力が低下に向かう今後は仕事量を少なめにしてその分、町内会での務めを果たしていこうと思っています。地域住民の助け合い(互助・絆)が大切ですが、その前に私を含めて自分自身の健康維持と介護予防に努めなければなりません(自助)。自分が健康でなければ小さなお世話をするどころではなく、自立さえも難しくなるからです。人生の最後に、「この街で生活してきてよかった」と言ってもらえるような地域社会を住民やもろもろの社会資源と連携して作りあげたいものです。
(6)開業前と予想が違っていたこと
開業すると勤務医時代よりも自由であるので、家族との団欒時間が増えると期待していました。しかし、開業後はただ食べて寝るために自宅に戻るだけの生活になりました。また、患者さんを診るためにこの道を選択したのですが、たまるばかりの書類などの事務作業に毎日平均3~4時間位を要します。特に、平成12年に介護保険が開始してから書類が増えました。また、最近は「病院と診療所の連携」そして「医療と介護の連携」などが推進されているので、連携する相手への情報提供のための書類等がますます増加しています。医療報酬と介護報酬に様々な加算の報酬がありますが、新制度として加算が加わるたびに加算を算定する証拠としての書類が増えています。そこで、2年前から一部の書類を事務職に手伝ってもらうようにしましたが、焼け石に水の状況です。広島大学病院在職中は多くの委員会があり、委員会の多さに困り果てた先生が、「委員会を少なくするための委員会を作りたい」と言われていたのを思い出しました。当法人の四つの建造物はそれぞれ約500m~1Km離れているので、情報の提供と共有のための書類だけでなく時間的・経済的ロスも多くて悩みの種です。そこで現在はIT委員会が中心になってイントラを利用した効率的な情報提供の在り方を模索しています。
(7)中医になることを目指します
中国では医師を三つに分けています。病気がある臓器だけを診てこの異常のある臓器の治療に専念するだけの医師を下医、病気になると病気で困るだけでなく特に高齢者では買い物に行けなくなる、料理が出来なくなるなど生活機能が低下する等様々な問題が生じます。病気の治療と病気によって生じる生活機能低下やバックグランドにも細やかで温かな配慮をする医師を中医と呼ぶそうです。画期的な治療方法を開発すると億を超える患者さんが助かります。あるいは効果的な医療制度・政策を導入するとやはり億を超えるような人が健康面での恩恵を受けることができます。このような医師を上医と呼ぶそうです。下医・中医・上医いずれの医師も必要ですが、私は中医をめざした医療を心がけています。患者さんの病気だけでなく生活状況を含めたバックグラウドを把握すると、治療によって回復された時の医療の喜びが倍増します。患者さんの生活状況の把握に努めるようにしていても、自宅には深夜に戻ることが多いので肝心の家族の生活状況のことは分からずに妻に任せきりとなっています。そのために子供も含めた家族の生活状況の把握ができていません。妻の方から時々、「あなた、今日は何の日か知っている?」などと私にとっての難問を出されます。それが結婚記念日であったり、妻の誕生日であったりで、実に恥ずかしい限りです。仕事しか興味のない・能のない夫をもった妻はさぞおもしろくない日々の連続であると思います。夫として父親として失格であります。また、町内会のこともほとんど妻にまかせているので、地域の方々にも申し訳なく思います。
これからは地域の皆様と連携して、開業当初からの法人の理念である「地域の高齢・障害者の方がいつまでも安心かつ安全に住み慣れた所に住み続けることが出来るような医療・リハビリ・介護サービスを提供」するように努力したいと思います。
これからは地域の皆様と連携して、開業当初からの法人の理念である「地域の高齢・障害者の方がいつまでも安心かつ安全に住み慣れた所に住み続けることが出来るような医療・リハビリ・介護サービスを提供」するように努力したいと思います。
②平成24年10月9日 広島県がん診療に携わる医師に対する緩和ケア研修会終了
③平成25年9月11日 広島県がん対策サポートドクター養成研修終了
④平成25年度在宅医療推進医等リーダー育成研修Ⅱ終了
③平成25年9月11日 広島県がん対策サポートドクター養成研修終了
④平成25年度在宅医療推進医等リーダー育成研修Ⅱ終了